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Tチャペルでの特伝奉仕&父との最期の時

土曜日(10日)から日曜日(11日)にかけて広島県福山市のTチャペルの特別伝道集会の奉仕に行ってきました。
場所は、あの「崖の上のポニョ」の舞台になっている鞆の浦のすぐ近く。
教会は、K大学のMD兄のご両親が牧会・伝道しておられる教会です。
メッセージ奉仕は、土曜の晩と日曜日の朝の礼拝の2回…。
拙い奉仕だったと思うのですが、特にM牧師との親しいお交わりに心から感謝しました。

さて、父が召されたことについて、先日書き始めましたが、その続きです。
木曜日(6月24日)、父の容態が悪くなり、いよいよ今晩中か…と思われた、その晩、看取ることになるかと思いつつ、一晩中ベッドのそばで付き添いました。
その日は、ワールドカップのあの日本対デンマーク戦の日でした。
京都の自宅で深夜テレビ観戦しながらも、父の様子も心配してくれていた娘たちとメールでやりとりし「今、本田が1点入れた!」とか戦況も教えてもらいながら、父も最期の戦いを善戦していることを思いました。
苦しそうな呼吸のたびにずれる酸素マスクを何度も直しながら、義理の姉が交替のために来てくれた朝5時まで付き添いましたが、父はか細い呼吸ながらも持ちこたえました。

私は、南大泉の両親の家に帰り仮眠をし、日曜日(27日)にはK教会で礼拝説教の奉仕がありましたので、やはり一度京都に帰らなければならず、金曜日の午後、帰途につきました。
しかし、やはりもう一度、父を見舞ってから帰ろうと思い、再度、田無の病院へ…。
何ができる訳でもないのですが、何となく離れがたく時間が経つうちに夕方6時頃、兄(長男)が仕事帰りに現われました。
兄の最近の様子などにも話題が及び、本当に久し振りにいろいろと話す機会となりました。

京都の家に最終で帰れるためには、8時くらいには病院を出なくてはならないので、今度こそ最期の別れと思い、祈りつつ、別れの言葉をかけました。
父は、身体障害者でしたが、そのような身体で、しかも決して経済的に豊かではありませんでしたから、私たち3人の息子を育て上げてくれたことを思うと、改めて感謝の思いが湧いてきました。
そのことを感謝して、最期の別れをして、京都に帰りました。

いつ召されてもおかしくない、と言われながら、その後も何回となく意識レベルが上がったり、血圧が安定したり、また危ない状態になったりしながらも、翌週の月曜日まで持ちこたえ、その日(6月28日)の早朝5時過ぎに息を引きとりました。

葬儀は、斎場の混み具合や友引などの休場日の関係、さらに同居して一番よく面倒を見てくれていた兄(次男)の都合もあり、1週間ほど先になることが分り、すぐに上京する訳にも行かず、その日は予定されていたU主事との昼食、GAP研修、六甲祈祷会といつも通りに過ごし、しかも学生たちと夕食を食べて、何か不思議な感覚の残る一日でした。
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父、逝く。

またまた随分と間が開いてしまいましたが、久し振りに書こうと思いました。
先日、自分の人生にとって、やはり大きな節目になる出来事がありましたので、自分自身のために…。

6月28日の早朝、父(高木宏)が召されました。
82歳でした。
その前の週の水曜日、父が肺炎を悪化させ呼吸不全を起こし、医者からは「会わせたい人がいたら連絡をするように」というようなことを言われたそうで、義理の姉から連絡を受けました。
少し様子を伺ってから、翌日(木曜日)出かけることに…。
田無(東京)の病院に駆けつけると、酸素マスクをして苦しそうに体全体を使ってやっと呼吸をしている姿が痛々しい…。
こちらが話しかけることは分かっている様子で、それに何か答えて言っているようでしたが、何を言っているのか聞き取ることは殆ど出来ませんでした。
息をしているだけでも苦しそうなので、「もう何も話さなくていいから…」と伝えて、祈りつつ、ただそばにいるだけ。

夕方になって、南大泉(練馬区)の両親の家に帰って、夕食を食べ、母と兄夫妻(両親と同居)といろいろと今後予想されることなども話し合いました。
それが一段落ついたところで、母がやはり疲れている様子だったのと、少し前から体調もあまりよくない様子だったので、泊まるとかえって疲れさせ負担になるかと思い、一度京都に帰ることに…。
西武池袋線で池袋に出て、JR山手線に乗り換え東京駅に向かっているときに、兄から携帯に電話を受け、容態が急変し、いよいよ危ない、との連絡が病院からあった、とのこと。
日暮里あたりから引き返して田無の病院に駆けつけました。
病室の外に、兄夫妻とSK牧師(両親と義姉の属する教会の牧師で、私とは教会の高校生会以来の友人)が既に来ており、ベッドの横には、もう一人の兄(長男)が寄り添っていました。後から、その兄の奥さんと子供二人も最期の別れに来てくれました。
父はもう意識もない様子でしたが、呼吸は一層苦しそうで、後は時間の問題…今夜中にも…との感じでしたので、その晩は私が代表して父の付き添いをすることにしました。
幸い信仰告白もし、洗礼の恵みにも与っていましたので、むしろ早く楽にしてあげたい、という思いで、祈りつつベッドの横で付き添っていましたが、か細い呼吸を繋いで意外にも、これからも暫く持ちこたえることになります。
思っていたより長文になってしまったので、今日はここまでにします。
これから特別集会の奉仕に泊りがけで出かけなくてはなりません。
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